1を教えて10楽しませる

「1を聞いて10を知る」という言葉がある。

先日、パーソナルの依頼が有り、小学生2名にトライアスロンを教えた。

聞けば、9月に初めてトライアスロン大会に参加するので、教えて欲しいということ。

自転車のコーナリング、トランジット、海で泳ぐことをした。

練習をするというより、楽しんだという方が正しい。

子ども。まだまだ教えることは山ほどあるけど、全部は到底無理。10あるうちの1でいっぱい。

例えば、「ヘッドアップ(サイティング)」なんか教えるよりも、ブイ回って「1回平泳ぎして」って言うだけで十分。飛び込みだってたとえお腹から突っ込む感じだけど、波に足を引っ掛けて膝から倒れるよりもずっといい。

1教えたらあとは楽しめたらいい。ちょっと極端か。

縁あってスポーツクラブでスイムのインストラクターをする機会がある。子ども、大人両方に教えるけど、最近は全部は教えない。

教えるとき、自分の引き出しを全部引っ張り出して、すべてをあげたくなってしまう。だけど、全部は教える必要ないなって。楽しくなっちゃうもん。

自分のスタイルは自分で舵とっていったほうがいい。

そして、自分が持っている引き出しにも限りがあるってこと。

それを広げていくために、たくさんのものを自分のフィルターに通して、吸収しないと。

見まくろう。聞きまくろう。真似しよう。楽しもう。

流離(さすらい)

という、タイトルが果たして意図にあっているのかはよくわからないけど、、、

 

ここ最近、様々な環境でトレーニングをしている。

とあるチームで一緒に水泳をし、とあるトライアスリートと練習し、もちろんコーチの元でも、ATHERにフィジカルトレーニングにも行くし、一人でする時間もある。

メインはここです。っていう「ここ」がない状態。

この状況がベストかどうか、正解はわからないけど、

取り組んだことが良いのかどうか、自分にあっているのかどうか、できなくてもよかったのか、疲れなのかなんなのか、回復できるのかどうなのか、したいのかしたくないのか、、、、、

そんなことが「シンプルに」考えられるようになっている。

いろいろな環境でトレーニングするということは、自分がしたいメニューができないという状況も含むわけである。それは一見、受動的に思うかもしれない。事実、出されたメニューを「(必死に。苦笑)こなす」という状況もある。

「とりあえずやる」ということの中には、「今日の目標はこれだ」っていうはっきりとした考えが薄い可能性もある。

じゃあ、全く「考えないか?」って言ったらそうではなくて、そのメニューを自分の中で解釈する。始めて出会う方法もある。言葉じゃないところで言えば、自分よりも優れたアスリートがうじゃうじゃいる環境下において、無意識のうちにお手本となる姿が視覚的情報として入ってくる。

自分、言葉、固定された枠の中で得られる情報は限られている。自分から探しにいくしかない。

一つの場所に滞らない。

あてもなく進む中には、イマイチなこともあるけど、10000個あるかもしれない「違うな」って思うことが1つ減る。

一歩間違えれば、他人任せな面もあるけど、どのタイミングでどこを選ぶか何を選ぶか、どれを続けるか。選ぶのは自分。

たくさんの選択肢があるからこそ、頭を使うのが嫌いでも、考えるようになる。そして次第に環境を整えていく。

逆の立場でも。もしも自分が指導を行うとして、相手の選択肢を狭めてはいけない。可能性はほかにもあるんだと。

 

滅多に漫画も読まないが、「井上雄彦」先生の作品だけはなぜか好きで、バガボンドの主人公「宮本武蔵」に共感できることが多くある。

「いつも自分の心の真ん中に」

「不思議と祈りたくなる」

 

滞ると視野が狭まる。人のせいにすると可能性が狭まる。

自分で決めた道、自分で進んだ道。そう思うと不思議と心は穏やかになる。たとえ予定と違うことが起こったとしても、それだけの事実として考えられる。その瞬間には次を考える。

 

さすらってみる。

新たな発見と、理屈のない、シンプルな心の真ん中に近づける。